続・怒りの癒し方・実践編
「怒りは二次感情」

若松えり子です

怒りは「二次感情」で、

怒りの奥底には、

悲しみ、
不安、
寂しさ、
心配、
残念、
不甲斐なさ、
恥ずかしさ

という「第一次感情」がありますよ、

だから、

怒りを感じたら、
もっと奥底まで「自分を感じ観る」よう、
「瞑想」を深め、

怒りの奥にある上記の「一次感情」を
癒す必要がある

~というお話を、

クライアント様の例と、
https://chiisananiwacom.wordpress.com/2018/01/25/

わたし自身の例
https://chiisananiwacom.wordpress.com/2018/01/26/

をお伝えしましたが、

わたしの場合、怒りの感情のもっと奥には、

「分かってもらえなくて、寂しい」

がありました。

_________________

「二次感情」である怒りは、いわゆる

「一次感情」を「隠すための虚勢」
_________________

今日は、この、

自分の中の「癒されてない自分」を見つけ、

「感じ観て」、

癒していく方法を一緒に学んでいきましょう。

この、「癒されてない自分」は、
「幼い時の自分」

もしくは、
「前世の自分」かもしれません。

まずは、

前世は、置いておいて、

(瞑想が進んでくると、
前世がふと見える感じることがありますが、
前世が見えたからスピリチュアルな人、
見えないからスピリチュアルではない、など
霊性の高低とは、一切関係ありません)

(話を戻して、)

現在から、今生の「幼い時の自分」までの
「過去」を遡ってみます。





お母さんに
お父さんに
先生に
友達に
兄弟に

信じてもらえなかった
認めてもらえなかった
裏切られた
無視された
ほっとかれた
置き去りにされた

本当は、

かまって欲しかった
信じて欲しかった
認めて欲しかった
話を聞いて欲しかった
ただ、見て欲しかった
わかって欲しかった
共有して欲しかった

・・・などなど

いろいろ出てくると思います。

ですが、

あまりに辛い過去だったりすると、

もう見たくない、感じたくない、
思い出したくない、

と言う具合に、

心に鍵をかけてしまうことがあったり、

もう、自分は、

「とっくに乗り越えた」
「とっくにゆるしている」と、

まだしっかり癒されてないのに、

そんなに心の狭い人じゃないよ、とばかりに
表面的な自分を演じていたりすることがあります。

(自分では、気付かずに)

ここを、中途半端にしてしまうと、

自分の中の「幼い自分」が、

「ねぇねぇ、わたしここにいるよ!」
「悲しかったんだよ」
「寂しかったんだよ」

と、

まるで、4歳児が駄々をこねるように
家事で忙しくしているお母さんに

「こっち向いてよ!」

とお母さんのエプロンを引っ張るのです。

家事で忙しいお母さんは、

「ちょっと待って!って言ってるでしょ!あっちで遊んでなさい!」

などと、邪険に扱えば扱うほど
余計、駄々をこね続けます。

逆に、

例えば、洗い物をしてる手を一旦止めて

しっかり、その子の目の高さまでしゃがんで
しっかり目を見てあげる

「だけ」で、

「あ、お母さんが、自分のために時間を使ってくれた」

と、満足するのです。

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これは、全部、瞑想内観すればクリアーできることですが、

しかし現代人は、

「自分のために時間を使う」ことが下手、な人が多いのですね。。

ここを端折ってしまう、、

から、

余計、

イライラする、だとか、
悶々とする、だとか、
スッキリしない

靄がかかっている時間が、長引くのですよ~。。

まとめます。

そんな、

「自分の中の4歳児」を癒すためには、

いったん、忙しい自分の手を止め、

自分の奥に在る感情に、向き合ってあげる

つまり、

「自分のために、自分と向き合う時間をつくる」

ことが重要だ、ということです。

すると、

「自分の中の4歳児」は、

あ、お母さんが自分のためだけに、時間をとってくれた~~~

と、満足するのです。

瞑想は、

こういった
「幼き自分(インナーチャイルド)」を癒すこと

でもありますので、
ぜひ、習慣化したいものですね。

かな~~~りスッキリ軽やかになりますょ

わたしのセッションプログラムでは、
こういったインナーチャイルドから
出てきた「前世」まで、一つ一つ癒していきます。

「足枷となっていた存在」は、

認め受け容れることで、

「応援団に変わる」

ちょっとおどろおどろしい言い方で言えば、

浄化、成仏、浄霊、

ですね☆

なので、しつこく言いますが、

「自分のために、自分と向き合う時間をつくる」

ことは、端折れない大事な作業であり、
大事なプロセス、

なのですね。。

 

 

 

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