静寂に、戻る場所を思い出した

若松えり子です

昨夜、ある一冊の本を見かけて、
その奥行きと美しさにハッとさせられる
感覚がありました。

それは
戦前の小学生が学んでいた
『初等科国史』という国史の教科書。



まだ手元には届いていないけれど、
とても豊かで、懐かしく…。

これは、
「今の日本人に必要なものだ」と感じて
思わず購入しました。



昔の日本では、
神は遠い存在ではありませんでした。

特別な人だけがつながるものでも、
修行を積んだ人だけのものでもなく、

自然の中に、
日々の営みの中に、
そして 自分の内側に在るもの でした。

祈ること、
整えること、
感謝すること。

それは
何かを信じ込む行為ではなく、
当たり前の呼吸のようなものだったのだと思います。



いま、世界はとても騒がしく、
声を張り上げる情報があふれています。

けれど最近、
私は強く感じるようになりました。

これから必要なのは、
「目覚めさせる“声”」よりも、

静かに戻れる“場所” なのではないか、と。



私が長年伝えてきたレイキも、
本当は日本で生まれたもの。

臼井甕男先生が
鞍馬山で受け取ったものは、
新しい力というよりも、

日本人がもともと持っていた
“調和の感覚”を思い出すための道
だったのだと、今は感じています。

取り戻す、のではなく
ただ思い出すだけ。

戦うために外へ向かうのではなく、
自分の中心、内側に戻ることで
自然と整っていく。



〜この数年、

“無理して頑張ってきた人”ほど、
その報われなさや理不尽さを
感じていたのではないでしょうか。

このメルマガを
読んでくださっている方の中にも、
そう感じている方が
少なくないのではないかと思います。

相手に押し付けられた正しさに、
自分の在り方にもがいたり、
何者かであろうとしたり、
前に進み続けようとしたり…。

だから私は、
前に進むことと同じくらい、
いったん“止まる”勇氣も大切だと、
これまでお伝えしてきました。

そして、
“外の声”ではなく
“内側の声”を聴くことが、
自分の中心に戻るということ。

そう、だから私は、
静かに、
「戻る場所」を開こうと思いました。

声を荒げなくてもいい。
何かを変えようとしなくてもいい。

ただ、
呼吸が深くなり、
身体が緩み、
「ここに戻ってきた」と
感じられる場。

詳しいことは、
また改めてお知らせします。

今日はただ、
この世界観だけを
先にお届けしたくて書きました。

もし今、
理由はわからないけれど
胸の奥が少し反応したなら。

それはきっと、
あなたの中にある
日本の記憶が、
静かに応えているのだと思います。


また、続きをお届けしますね。



追伸

そういえば、少し前に
私自身の子どもの不登校をきっかけに、
「教育とは何だろう?」と
問い直したことがありました。

その流れで、
かつての日本の「教育の言葉」について、
自分なりに感じたことを
短い動画にまとめたことがあります。

正解を伝えたいのではなく、
問いをひらきたかっただけの動画です。

もしよければ、
今日の話と重ねながら
ご覧になってみてください。

▶︎ TikTok動画はこちら👇

PAGE top

Top