冬至へのプレリュード──願わないという日本的な在り方

こんばんは、若松えり子です🌝

今日は新月ですね。

新月というと、
「願い事をする日」
として知られているかもしれません。

けれど私は、
この新月を

冬至点 直前の “整える時間”

として、静かに過ごしたいと感じています。

12月22日 深夜0時03分
今年の冬至点を迎えます。

冬至は、
光が最も弱まり、
そこから反転していく
“境目の点”

この時間は、
何かを願うための瞬間というよりも、

「いま、自分はどこに立っているのか」

を、静かに確かめるための点
なのだと思います。



願う、という行為は、
ときに
「いま、ここにはない」という前提を
無意識につくってしまうことがあります。

けれど冬至点は、
何かを足すよりも、
余計なものを外して迎える時間


〜昔の日本には、
切り替わりの前に

斎(い)み」という在り方がありました。

斎みは、
何かをお願いする行為ではありません。

神に近づくために、
自分を静め、整え、
余計なものを外す時間。

祈願が
「こうなりたい」「叶えてほしい」と
外へ向かう行為だとしたら、

斎みは、
静かに過ごし、
言葉を慎み、
欲を立てず、
内へ還る行為

願いを“言わない”こと自体が、
大切な行為でした。

日本では古来、
新しい御代の前、
祭りの前、
神事の前、
季節の節目には、
必ず斎みの期間がありました。

それは、

ゼロに戻るための準備



〜少し前、
戦前の子どもたちが書いた
習字を見る機会がありました。


(府中市にある旧小学校)


その字は、
驚くほど静かで、
深くて、澄んでいました。


(こちらの習字は、私が撮影した旧小学校に展示してあった写真ではないのですが、
当時戦時中の小学6年生にあたる子どもが書いたものを拝借。
私が実際に、展示してあった当時の小学生の習字を見た時も、大人が書いたのではないかと思うほどで…)


なんというか、
余計なものがなく
洗練されているというか、
澄み渡るような美しさで…
言葉を失ってしまったのを覚えています。

うまく書こうとも、
評価されようともせず、

ただ、その瞬間、そこに在る。

書道は、
を通して「今ここ」に戻るもの。

は、
呼吸を通して「今ここ」に戻るもの。

レイキは、
を通して「今ここ」に戻るもの。


どれも、
何かを得るための技術ではなく、

自分の中心に戻るための道



この新月は、
願いを言葉にしなくて大丈夫です。

代わりに、

呼吸をひとつ深くして、
身体の感覚に耳を澄ませてみてください。

いま、私は
どこに立っているだろう。

冬至点を前に、
その問いだけで、十分です。

〜今朝、
この感覚をさらに静かに言葉にした
noteを書きました。

▶︎ 冬至へのプレリュード
──願ってはいけない冬至点。“状態”が、世界線を決める
https://note.com/eriko_ligt/n/n52a68ee9466c


「読もう」と思わなくて大丈夫なので、
ただ開いて、

今の自分の“状態”を感じてみてください。

それだけで、
もうプレリュードは始まっています。


明日21日21時、
静かに場をひらきます。

また、続きをお届けしますね。

P.S.
今日20日の新月と
明日21日の深夜24:03(22日0:03冬至点)
は、願わなくていい日。

静かな状態そのものが、もう次の世界線です。

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