「許す・赦す」ってどう違うの?
2017年12月7日
若松えり子です
12ステッププログラムには、
「ゆるしのワーク」が最重要ステップとして
組み込まれているのですが、
よく心理学なんかでも、
「相手をゆるすことで、自分が楽になる」
「相手をゆるす=自分をゆるす」
というようなお話がありますが、
ひどいことをされた相手をそんな簡単に
ゆるすことができたら世話ないわけですよね、、。
様々な例がありますが、、
どんなに「ひどいこと」が起きたとしても
意味のない事は、一つもありません。
意味があるから、その事象が起きています。
そして、
自分の目の前(外側)に映っている事象は、
自分の内側に「在る」
から、外に反映しています。
自分の内側に、1ミクロも無ければ、
それは、視界に入りません。
まさに、相手は、「自分の鏡」
自分の中に入っているものが
相手に映っているだけ。
貴方は、
相手の何が「ゆるせない」と思っていますか?
または、
相手のどこが「気になる」のでしょうか。
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■「許し」とは、
__________________
「免許」の「許」にあるように「許可」
「与える」ですね。
少々上から目線な感じです。
例えば、
何かを「してしまった」人に対して
「しょうがない、でも許してやろう」
というような、、
ですが、逆に
■「赦し」とは、
__________________
何かを「してしまった」人と同じ目線になり、
そして、
その行為は、その時、その人にとっての
「最善だった」ということを
「受け容れる」ということ。
つまり・・・
__________________
「許し」が『点』
だとすると
「赦し」は『面』
__________________
「許し」は、
その行為(点)一つ一つ、
その都度エネルギーを消耗する
といった感じがありますが、
「赦し」ができるようになると、
面そのものが「愛」なので
「愛」の中で生きられるようになります。
ー 罪を憎んで、人を憎まず ー
結局、
相手を「ゆるせない」と思っている
のは、
自分自身を「ゆるせてない」
のですね。
ので、
相手の「何が」ゆるせないのか、
気になるのか
その「何が」の部分が
自分の中に「在る」
ということ。
つまり、
その「何が」の部分が
自分の中に「在る」ことを
「認め」、
「受け容れる」。
ということが、
「赦し」となる。
「面」そのものが「愛」
なので、
「愛」の中で、楽に生きられるようになる
のですね~^^
ですが、例えば、、
自分の大事な人が、何かの事件に巻き込まれて
「被害者」になった
「罪」を憎んでも、「人」を憎まず
とは言え、
本心は「ゆるさない!!」
と、心中穏やかにはいられないと思います。
「加害者」に負のエネルギーを向けてしまうでしょう。
ここに「学び」があるのですね。
世の中に「偶然」はありません。
起こる出来事は、すべて「必然」
自分の目の前に起きた出来事には、
どんな意味があるのか。
どんな学びができるのか。
「赦す」の次にでてくるものは、
「自己責任」
受け容れたあと、
「自分が」どうするのか。
「赦し」「責任」「愛」
ここの域に達することができれば、
魂はぐんと輝くのです。
乗り越えられない「問題・苦難」は決して
来ませんから~
目の前に、
それが来た、映っている
ということは、
「それを乗り越える魂の体力がついてるよ」
ということですから~~
では今日は、この辺で~☆
ー来年の瞑想会についてー
来年2月の初旬頃
瞑想会を予定しております。
また来年になりましたら、
このメールレターにてお知らせいたしますので、もうしばらくお待ちくださいね☆